当前位置

首页 > 语言学习 > 日语学习 > 罪孽深重:贫困型出轨与富裕型出轨

罪孽深重:贫困型出轨与富裕型出轨

推荐人: 来源: 阅读: 1.85W 次

映画版「昼顔」の結末があまりに残酷なものであったことで、私の周囲の斎藤工ファンがメソメソしている。しかしセンセーショナルな不倫ドラマは、やはりあのようにしか終わり得なかったのだろうし、私的には不倫がよくも悪くも人の関心を惹きつけ、多くの場合は拒絶反応を引き起こすということを再認識させられた。

罪孽深重:贫困型出轨与富裕型出轨

《昼颜》电影版的结局实在太残酷了,使得我身边的斋藤工粉丝们个个泣不成声。然而,这部轰动的出轨剧,恐怕也只能这么收场吧。对我来说,也再次认识到了一件事,那就是出轨无论好坏,都会备受瞩目,而且在大多数情况下,大家的内心还是拒绝的。

不倫は希望を奪う

出轨剥夺了希望

ここ2年ほどの過剰とも見える芸能人の不倫報道も、「昼顔」の悲劇的なラストも、単に近年よく見られるような行き過ぎた道徳心の引き起こした結果であると一蹴してしまうのは簡単だ。ただ私がそれほどシニカルになりきれないのは、もっと根本的で本能的な拒否感を感じるからだ。不倫が忌み嫌われるのは、ものすごく愛し合っているにせよそれなりに惰性の関係であるにしろ、夫婦関係の片割れである残された妻や夫から、世界で一人だけしか救えない状況になった時、必ずその一人には自分を選ぶであろうという希望を奪うからに他ならない。

近两年来演艺圈漫天飞舞的出轨丑闻也好,或是《昼颜》悲剧性的结局也罢,将“出轨”的原因归咎于近年人们渐渐丧失的道德感,比较容易想得通。然而,令我觉得讽刺的是人们对于出轨其实有着更加原始的、本能的抗拒。出轨使人厌恶的是,夫妻两人即使爱到海沽石烂,婚姻关系也会产生惰性,而当夫妻中的一方出轨,剩下的一方就会觉得全世界只有对方(妻子或丈夫)能拯救他时,对方一定会选择自己的希望被夺走了(可能会选择第三者)。

少なくとも彼だけは自分を救ってくれるだろう、という信じてある希望を失うことは、人間にとって耐え難く心細いものである。「昼顔」は映画となってより一層、妻の不安と絶望を顕著に描いたが、私自身、独身のまま昨年母を亡くして今まで以上に強くそう感じている。

至少,他还是能拯救我的——这一深信的想法一旦破灭,只能陷入绝望的深渊。《昼颜》的电影版将妻子那种不安与绝望描绘得更为入木三分,单身的我在去年母亲亡故之后,对一个人的绝望,这样的感受更为深刻了。

もちろん、自分の味方になってくれる人を増やし、守ってくれる人を増やすというのは誰にとっても人生の一側面であり、幸運な星の下に生まれ、またそこに甘んじずに努力すれば「社長のためになら自分が犠牲になってもいい」という部下を多く持つかもしれないし、「何よりも優先すべきはタクヤ」というファンを増やすかもしれないが、多くの凡人達にとってそれは結婚して生涯ともに歩もうと誓った相手たった一人の票しか期待できない。また、運が悪ければそれすらも手に入らないわけである。

当然无论是谁,都希望更多的人成为自己的朋友,更多的人来守护自己。如果含着金汤匙出生,或是踏实地付出努力而拥有了很多想着“为了社长,牺牲我自己也可以”的下属,亦或是拥有众多想着“凡事以takuya为先”的粉丝也好。但这些对于大多数平凡人来说都遥不可及,只能期待结婚之后和自己携手白头到老的那一个人可以拯救自己、以自己为先,若运气差些,连这一人恐怕也无处寻觅吧。

なぜ「銀座ホステス裁判」は、オヤジ臭い判決になったのか

为何“银座陪酒女案”的判决是腐朽的判决

物議を醸したことで覚えている方もいるだろうが、2014年に判決が出た銀座ホステス枕営業裁判というものがある。裁判を起こしたのは女性で、夫と銀座のクラブのママが長年に渡って深い仲にあったことで精神的な苦痛を強いられたとしてクラブのママに慰謝料を求めたものだ。裁判官は不貞行為の事実の追及に重きを置かず、クラブホステスにとって「枕営業」というのは営業行為であるとしてその訴えを退けた。

不少人还记得2014年那起议论纷纷的银座陪酒女被告一案吧。提起诉讼的是一位女性,她的丈夫与银座夜总会的老板娘长期保持密切关系,使得她在精神上痛苦不堪,于是提起诉讼,要求夜总会的老板娘赔偿其精神损失费。法官并没有将重点放在追究婚外情的不忠行为上,而是认为对于夜总会陪酒女来说,她的行为只是工作的一部分,判了这位女性败诉。

確かに広義の不倫、つまり婚姻関係がある人がパートナー以外の人と肉体的あるいは精神的に強いつながりを持つ行為には二種類あるという見方はできる。「純愛型」の不倫と「愛人型」の不倫と言ってもいいし、「感情型」の不倫と「理性型」の不倫と言ってもいい。つまり、それこそ「昼顔」の上戸彩と斎藤工のようにお互いどうしようもなく惹かれあって、結婚している自分の事情など考えられないほど愛し合ってしまってチョメチョメるというのと、クラブホステスに入れ込んで通いつめ、チョメチョメまでありつくというのとではだいぶ印象が違う。

的确,出轨从广义上来说可分为两种,即指在婚姻关系内的人,在伴侣之外,发生肉体出轨或精神出轨这两种行为。称之为“纯爱型”出轨和“情妇型”出轨,也或“感性型”出轨和“理性型”出轨也可以。换言之,就像《昼颜》里的上户彩和斋藤工那种互相吸引、相爱到已忘了自己已婚的事实,以及结了婚还去逛夜总会和陪酒小姐打情骂俏,这两种情况给人的印象是截然不同的。

おそらく、古き良き時代の男、正しく言えば前近代的な思想の男は、「イエ」に対する責任愛と、遊女や芸妓を愛でる愛とは別物であり、妻と愛人は別物であるという認識だったからこそ、かの銀座ホステス裁判は革新的でありながらどこか懐古的な、オヤジ臭い判決という印象を帯びたのであろう。

恐怕,就是那些古时候的男人,正确来说是拥有近代之前思想的男人,对于“家”的责任之爱和对于艺伎、欢场上女子的爱区别以待,对于妻子和情人也分得很清楚这一认知,才导致银座陪酒女一案虽然显得具有革命性,最终也只得到腐朽的判决罢了。

「貧困型不倫」と「富裕型不倫」とは何か?

“贫困型出轨”和“富裕型出轨”究竟是什么意思?

ただ、現在の不倫を見ると「純愛型」「愛人型」などとうまく峻別するのは難しい。交際クラブに登録して女の子に幾らかのお小遣いをあげて食事やセックスに励む既婚男性は多いが、彼らはかつての妾の面倒を見るほどの気概も経済力もなく、また妻への愛と交際クラブの女の子への愛をうまく使い分けているようにも見えない。

不过如今,要严格区分“纯爱型”出轨和“情妇型”出轨是很难的。大多已婚男人们不过是给那些陪酒女郎一点零花钱,吃吃饭、沉迷于温柔乡罢了,他们既没有古代人照顾妾侍的气魄与经济能力,也无法把对妻子的爱和对陪酒女郎的爱划清界限的能力。

結局、不倫の種類を決めているのは、既婚者ではない側の心持ちなのである。既婚男性と独身女性であれば、女性側が何目的であるか、というのがそれを決定しているに過ぎず、男性の側に真実か虚構か、純愛か遊びかの決定権はない。銀座ホステスと「昼顔」の上戸彩では女性側の心持ちはまるで違うが、恋い焦がれていた男性側の感情にそれほどの大差があるとは思えないのだ。先の裁判の判決が銀座側からすれば理にかなったものであり、妻側からすれば全く要領を得ないものであるのもそのせいだ。

最终能决定出轨类型的,是非已婚那一方的心态。如果是已婚男性和单身女性的情况,女性一方的目的是什么具有决定性,男性一方的感情是真实也好虚幻也罢,纯爱也好逢场作戏也罢,是不具备决定权的。银座陪酒女和《昼颜》中上户彩的心境是完全不同的,但男方焦躁的爱恋之心却如出一辙。之前法院的判决,从银座方面来看,还算有道理,但从妻子的立场来看,简直不可理喻。

既婚男性と肉体的あるいは精神的に深い関係にならんとする女性の方は簡単に分けてしまえば「貧困型」と「富裕型」に分類することができる。別に貧乏臭い格好をしているかどうかとか、収入がどれだけあるかに関わらず男性の金銭的な援助を目的とした関係を貧困型とした場合、枕営業をするキャバ嬢も愛人バンクに登録して月のお手当てをもらう愛人たちも、風俗嬢も大まかにはこちらに入る。別に、いわゆる玄人でなくとも、お小遣いや自分では買えないようなプレゼント、自分では入れないような店やホテルのスイートに目が眩んで港区あたりでおじさんたちを弄ぶ女子たちもまたそうだ。

从和已婚男人有肉体关系或深层次的精神关系的女性的角度,就能简单划分出“贫困型”出轨和“富裕型”出轨两类。这无关于穿得寒酸或者收入少,而是将以男性的金钱援助为目的的关系定义为贫困型,那些有性关系的陪酒女、每月拿钱的情妇、风俗娘等都属于这个类别。还有就算是普通人,以零花钱、或是买不起的礼物、消费不起的店或酒店昂贵的甜品为目的,在港区地带纠缠于大叔身边的女子们也归入此类。

「昼顔」の上戸彩も、ベッキーも「富裕型不倫」

《昼颜》中的上户彩也好,Becky也罢,都属于“富裕型出轨”

対して、たまたま恋に落ちた相手が既婚者だったという女性、あるいは、特にお小遣いやプレゼント目的ではないが、スリルや切なさを求めて不倫をする女性たちも存在する。「昼顔」の上戸彩もそうだし、ベッキーだっておそらく相手のバンドマンからの金銭的援助など期待していなかったわけだから、こちらに入るであろう。それを「富裕型」とあえて私が呼ぶのは、既婚男性とうっかり恋に落ちがちな女性や不倫好きな女性というのは、圧倒的に社会的に自立した、いわばキャリアウーマンが多いからだ。

相对的,那些偶然陷入恋情,但对方是已婚者的女性,也就是说不以零花钱、礼物为目的,追求刺激、苦恋的出轨女性也是有的。《昼颜》里的上户彩既是如此,Becky也不会对乐队那位在金钱方面有任何期待吧,她们都属于富裕型出轨。之所以称为“富裕型”,是因为那些和已婚男人糊里糊涂就陷入恋爱或是喜欢出轨的女性,具有一定的社会地位且非常独立,也就是职业女性占多数。

おそらく、仕事で立身出世する気がない女性は相対的に結婚願望が強く、既婚男性などはそもそも眼中にない場合が多い。逆に言えば別に本人としては既婚男性を選んでいるつもりがなくとも何故か既婚者と恋に落ちがち、という女性は、ある意味では純粋で、結婚して生活を安定させようだとか、あわよくば主婦になりたいといった計算なく男性を眼差している女である。そうした態度は総じて自分で生活を安定させることができる、人生に余裕がある人にしか成し得ないものであると言える。当然、自分のことをハナから圏外指定してくる女と、そういうことはあまり考えず分け隔てなく接してくる女であれば、男性が後者と恋に落ちる可能性も高い。

恐怕那些没能在事业上出人头地的女性,相对来说结婚的意愿比较强烈,根本就没把已婚男人当作目标。反过来说,那些并不是故意选择已婚男人,却容易陷入与已婚男人相恋的女性,从某种意义上来说,她们是纯粹只选自己喜欢的男人,与那些想要结婚后过上安定生活,成为主妇的女性不同。这样的态度总的来说,是能够让自己的生活安定下来的,也可以说是人生从容不迫的人才能达成的。所以,如果是目标明确的女性,和不怎么考虑这些的女性,那男性和后者相爱的可能性也会较高。

不倫に類型はあっても、男に決定権はない

就算出轨分类型,决定权也不在男人手里

何も、女性の職業や収入が「貧困型」と「富裕型」を決定づけるわけではなく、そこではあくまで傾向を読み取ることしかできない。それに「貧困型」として始まった不倫も純愛の色を帯びてくることだってある。ドラマ化もされた有吉佐和子「不信のとき」では、主人公の既婚男性はホステスと恋に落ちるが、そこに描かれるのはどちらかと言えば純愛型の愛憎劇である。ただ、それが分類の垣根を超えてくるかこないかというのも所詮、女性の方が思いの外本気で好きになってしまったか、という女側の事情によるのであって、男に決定権はない。

然而,女方的职业、收入不是决定出轨为“贫困型”还是“富裕型”的标准,不过是以此来知晓大概状况。“贫困型”开始的出轨,也有带有纯爱色彩的。电视剧版有吉佐和子的《不忠实的时刻》,主人公已婚男人和陪酒女相爱这一段描写,说起来也算是纯爱型的情感剧。但是不是越过了分类的界限,就看女方是不是真的爱上了对方,男人这边是没决定权的。

男に決定権がないというのはつまり、男の罪は等しく重いということであるし、妻の不快感や苦しみも大小の差がないということでもある。ただ、それは妻の不快感や苦しみが「一種類しかない」ということにはならない。

男人没决定权,换言之,男人的罪孽是一样重的,妻子的痛苦与悲伤也没什么大的差别。但,妻子的痛苦与悲伤却“不止一种”。

不倫のタイプによって罪の軽重があるという幻想

出轨类型不同,罪孽也跟着分出轻重来这一幻想

実は妻の側から見ると、二種類の不倫に対する憎むべきポイントというのは微妙に違う。純愛型の不倫は、「昼顔」の斎藤工がそうしようとしたように、妻の立場が揺らぐ可能性を孕む。つまり不倫相手は妻にとって脅威となるわけで、奪われる不安や自分の居場所がなくなる焦りによって苦しむのは当然だ。冒頭で述べたように、不倫の一般的な意味での拒絶反応も、この奪うものに対する恐れと嫌悪感からきているのは間違いない。

实际上,从妻子的立场上来看,她们对于这两类出轨的憎恨点还有着微妙的差别。纯爱型的出轨,就如同《昼颜》中的斋藤工那样,可能不断动摇着妻子的地位。也就是说,出轨对象对妻子构成了威胁,被掠夺的不安、失去自己的地位,焦虑、苦恼自是理所当然的。就像文章开头所说的那样,对于出轨的常识性的拒绝,也一定会对这种掠夺产生恐惧与厌恶。

対して、「貧困型」の女子たちが妻の脅威となるかというとそれはあまり考えられない。そもそも妻の座を狙っていない場合が多いし、ただの金目当てや玄人系の場合、本命の恋人は別にちゃんといるという女の子だっている。女にその気がなければ流石に男性が妻との関係を断ち切ってまで乗り換えるということは考えにくい。

相对的,“贫困型”出轨的女人们根本不会对妻子们造成威胁。因为她们原本就没想上位,不过是想要钱,专于此道的女子恐怕还有真命天子在身边。如果女方没这个意思,那就很难想象男人真的会和自己的妻子分手。

だからといって罪が軽いということにならないのは、何も人の傷というのは奪われる恐怖や居場所を失う絶望といった「昼顔」の妻的なものによってのみつけられるものではなく、別の形の、やはり堪え難いつけられ方というのがあるからだ。それは言わば自尊心が傷つくという苦しみ、バカにされていることの苛立ちである。自分が(少なくとも形上は)愛している旦那を、金づるとあざ笑って利用し、利用しておいて陰で「キモいオヤジ」だと蔑む女がいるとき、そしてそんなことにも気づかずつかのまの恋にうつつを抜かす自分の夫がいるとき、女性のプライドはとても揺さぶられる。それは自分自身がバカにされ見くびられているのと同等の、あるいはそれ以上の苦しみなのかもしれない。

即便如此,并不能减轻罪孽。虽然不是像《昼颜》里的妻子那样,有着被人掠夺的恐惧和失去身处之地的绝望,也会以另一种方式处于难以忍受的境地。妻子的自尊心受到重创,且有一种被人看笑话的焦虑感。自己(至少表面上)深爱的丈夫,被人当凯子嘲笑利用,在背后还被女人蔑视成“恶心的老头”,连这些都察觉不到还一头扎进爱情里的自己的丈夫,实在是让女性的自尊心无处安放。这和自己被当做傻子是一样的,甚至可能更痛苦。

おそらく妻自身もそれほどはっきりと区別して憎んでいるような類のものではないのかもしれないが、例えば「別にお前と別れるわけではない」だとか「ただの遊びのつもりだった」という言い訳が、あるいは「所詮、浮気相手だよ、あなたの座は揺らがないよ」という慰めが時に見当違いな響きしか持たないのは、傷のつき方にも形の違いがあるからだ。銀座ホステスが何も妻の座を奪おうとも彼らの関係を壊そうとも思っていなかったと考えたのであろう判決は、ホステス側から見て正しいものであっても、精神的苦痛を感じた妻の訴えと夫の罪をなきものとするに足る論理ではない。そう考えると「風俗は別物だよ」なんて言う男性の論理は、人の傷がどのようにしてできるかについて何の自覚もないという意味で、大変空虚なものに聞こえる。

恐怕妻子们自己也无法清楚区分憎恨的类型,例如“又不是要跟你分手”、“只是玩玩而已”等借口,听起来意思就是“出轨对象不会动摇你的地位啦”,这种安慰简直是在伤口上撒盐。银座陪酒女案因没想要夺走妻子的位子,也没想破坏夫妻俩的关系的判决,从陪酒女方来看,貌似没什么问题,但正经受着精神苦难的妻子提起了诉讼,那么丈夫绝对是有罪的。所以,那些说着“逢场作戏另当别论”的男性理论是站不住脚的,是简直不把伤害人当回事的无稽之谈。

本翻译为沪江日语原创,未经允许,禁止转载。